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全てのリーダーに捧げる実話 ―史上最強のリーダー シャクルトン ―

 求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。

暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。

成功の暁には名誉と賞賛を得る。

 

これは探検家アーネスト・H・シャクルトンが南極大陸横断の出発へ向けて出したと言われている求人広告の内容です。

当時の1900年代は北極や南極への探検が新しい資源などの発見の期待から世界各国が極地へ探検することを競っていました。至難の旅であり命の危険を伴う探検の求人は、25名の募集定員に対して5000名もの応募があったそうです。

 

今日ご紹介するのは、この南極大陸横断のリーダーであったシャクルトンについて。これは、世のリーダー・管理職にはぜひお読みいただきたい一冊です。DVDもありますが、もうレンタルはされていないかもしれません。

 

以下はネタバレになりますので、先入観なく知りたい方は本やDVDをどうぞ。

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1914年12月にシャクルトンを隊長としたエンデュアランス号は南極横断へ向けて出発。しかし出発から2ヶ月後に船が氷河に取り囲まれ身動きが取れなくなってしまいます。しかし探検へ向けて大量の物資を準備していたことから、氷が溶けるまで船の中で越冬しようと決断しました。

 

しかしその10か月後の1915年10月に事態が悪化します。氷が溶け始めたのはいいのですが、氷が溶けて動き出したことによって船に強烈な氷の圧力をかかり出します。そして氷の牙が船を襲って亀裂が入り始めます。はじめのうちは船内の水を汲み出して対処しようとしたのだが、そのうちに水を汲み出すことでは太刀打ちできなくなり、シャクルトンはエンデュアランス号を諦めるという決断にいたります。

 

28名が極寒の地で家である船を失いました。

南極大陸は冬になればマイナス70℃にもなり、秒速90mを超える暴風も吹き荒れる過酷な場所です。またほとんど雨も降らないため、言わば氷の砂漠という環境です。そんな絶望的な環境の中、シャクルトンは悲嘆にくれることもなくこう言いました。

 

『船と物資はなくなった。さぁ我が家へ帰ろう』

 

助かるためには陸地へ行かなければなりません。一番近い陸地へはそこから100kmもの距離があります。3隻のボートと持ち運びが出来る範囲の食糧品を持ちキャンプをしながら陸地を目指しました。

しかしまた苦難が続きます。1916年4月にはキャンプをしていた下の氷が溶け出してしまうのです。そのため今度は3隻のボートを海におろして、漕いで陸地を目指すことになります。

 

数日間彷徨いながら一向がエレファント島についたのは、1916年4月15日です。それは16ヶ月ぶりの陸地でした。

しかしエレファント島は岩だらけで、ブリザードがひっきりなしに襲ってくる地獄の島でした。助けの船も通ることもありません。

そこでシャクルトンはある決断をします。それは自分が5名のメンバーを引き連れてボート1隻でそこから1,280kmも先のサウスジョージア島へ助けを求めに行くというものでした。

 

小船1隻で5人のメンバーを連れて荒れ狂う海へ挑む。しかも目的地は1,280kmも先です。もし失敗したらエレファント島で待つ22名の命もありません。

 

シャクルトンら6名のボートは途中ハリケーンに襲われるなどの危機もなんとか乗り越えて、遂に1916年5月10日にサウスジョージア島の西側の湾に到着しました。その時既にボートは壊れかけていました。

 

苦難はここで終わりではありません。助けを呼ぶにはそこからさらに240km先の島の西側の捕鯨基地に行かなければならず、もはやボートで行くのは厳しい状況でした。

 

そこでシャクルトンはまた決断をします。

それは2人を連れて、南極海のアルプスと呼ばれる山脈を直線距離で50km弱を徒歩で越えることを決めたのです。山越えの装備ももっていないためこれもまた厳しい道のりでした。途中100mを越えるような氷河の斜面を登り下りしながら、遂に1916年5月20日に捕鯨基地にたどり着くことが出来たのです。

 

しかし、まだエレファント島では残してきた22名の仲間が待っています。
シャクルトンは多くの国へ救援を要請しましたが救援活動も難航し、何度も何度も氷の壁に阻まれましたがついに1916年8月30日にエレファント島へ到着しました。

 

『全員、無事か?』とのシャクルトンの言葉に対して、
『全員元気です。ボス』との力強い声が返ってきました。

 

そう。1人も欠くことなく、全員の命が無事でした。

 

シャクルトンのリーダーシップは次の点が優れていると感じました。

 

危機状況へのマネジメント
危機に直面すると人は思考停止に陥り、その危機を直視することを避けたがる習性があるものですが、シャクルトンは想定を超える事態が次々に起きても、冷静に柔軟に適応する能力に長けていました。

 

部下のマネジメント
彼は優秀なサブリーダーを育てていて、エレファント島の21名をそのサブリーダーに任せていました。不平不満を言うメンバーもいましたが、そんなメンバーは自分の近くに置いて管理するなどの配慮を行っていました。

メンバー一人ひとりの性格や能力、体調、他のメンバーとの相性などを把握した上で指示を出す。これは今の企業社会にも通じることです。

 

空気のマネジメント
組織の空気はリーダーが創ります。特に危機時においては暗くどんよりとした空気が蔓延しやすいものです。しかしシャクルトンは決して弱音を吐くことなく、マイナス面部分を見せないように振舞っていて、その姿勢がメンバーの精神面を支えていました。

 

もちろん「運」もあるかもしれません。しかし私は幸運を導くものは「周到な準備」だと思っていて、シャクルトンのケースでも幾度とない極限状態を乗り越え、全員が生還できたのは、彼らが皆その「運」引き寄せる「努力=準備」を普段からしていたからだと感じます。

 

また、シャクルトンはこんな言葉を残していました。

 私が助言できるとすれば、困難や危険、絶望の中でも、希望を失うなということだ。最悪の事態は、必ず克服できると。

  

「成し遂げる人」は「やりたいこと」を「できること」と信じ続ける力のすごさを持っているのだと思います。これは危機時でもそうでなくてもです。

 

さらに「大胆な思考」「繊細な行動」を併せ持っていました。

シャクルトンは周りの人間を巻き込み、その気にさせる能力に長けていました。人を巻き込むには「夢や目指すべきGoalをストーリーとして語れること」が大事です。

しかし、そのビジョンや言葉だけでは人を本当に惹きつけることは出来ないため、緻密な準備や計画性が「説得力」を生み、部下へ配慮のある行動が「人間としての魅力」を増長させているのだと思います。

 

こういうリーダーのためなら部下も心から本気で働けるのだと思います。

 

リーダーシップの視点で読むと大変勉強になります。ご参考までに。

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