「怒る」と「叱る」は違うからね。
感情に任せるように部下に怒る上司をいままで散々見てきました。
そのような感情になったことが無いので不思議でたまらない事象の一つです。そもそも上司と部下という表現が私は好きではないです。
上司という立場が人間的に偉いと勘違いしている人多いですよね。この感覚は今の若い世代には理解しがたいでしょう。
そもそも「怒る」と「叱る」は違います。
部下が何かミスをしてしまった際に、当事者の成長を期待して叱咤激励の一環で行うことがその言葉の通り「叱る」という行為です。これは私もします。その人の成長のために、そうせざるを得ない環境になったからです。
例えばチームで進めている仕事において、自分の甘えで他の人を待たせてしまったりするような行為は私も「叱り」ます。でもこれは決して感情的ではありません。そして相手に理解をさせる必要な程度に強度を調整して行います。決してその当事者が嫌いなわけではないですから、理解させることが私の役割だからです。
しかしそれを理解できずに闇雲に怒る人。あれはなんなのでしょうね。
傾向的には、役職が大好きな「タイトル君」に多い気がしています。大企業で役職につけなかったから、会社の規模を落として転職して課長や部長の役割を求めようとする方。まあそういう方の思考はほぼで一発でわかりますので採用しませんけれど、たまにそういう人が紛れてきて意味もなく怒っていたりしているのを発見したら私は公開処刑をします。あなたがしていたことはこういうことなのだよと。
最近は「アンガーマネジメント」とやらの言葉もありますが、自分の感情が煮えたぎる原因を理解しておくことは大事です。闇雲に怒っている人は教育と感情の整理がついていないのだと思います。
しかし人間誰しも感情的になることはあります。でもそれは自分に余裕が無いときに起こることが多いのです。以下「ビジネスEQ」ダニエル・ゴールマン氏より引用
我々をぎりぎりまで追い詰める面倒やプレッシャーはいつも「最悪のタイミング」にやってくる。少なくともそのように思える。ストレスが次々と重なるときには、それは足し算ではなく掛け算で倍加しているように感じられる。ということは、我々が限界に近づくとと、次に襲ってくる精神的な負担は耐え難いもの、あるいは最後の一撃のように感じられる。ここでは、普段ならそれほど慌てさせない小さな面倒でも、急に解決しがたい大事に思えてしまう。
詩人のチャールズ・ボーコースキーは、
「われわれを狂気に追いやるのは決して大きな出来事、たとえば失恋したようなときではない。時間がないときに靴紐がぷっつり切れたような時なのだ」と表現している。