相手を認める。感謝の気持ちを伝える。
昨日の記事を書いて、ふと思い出したことがあったのでご紹介します。
人間というのは、基本的には認めてもらいたい動物なのだと思います。
誰しもが人生で多くの時間を仕事にあてるなら認めてもらいたいですよね。
仕事をするのが当たり前ではなくて、やってくれたことに対しては、感謝の気持ちを伝えることも必要です。
ほんの少しでも認めてもらえることで、その人の人生が変わることだってあるのです。
今日も一つご紹介します。
一生 人を勇気づけた紙切れ
その日は金曜日で、教室中がおかしな雰囲気だった。
その週はずっと新しい数学の概念について勉強していたが、生徒たちは行き詰まり、イライラしていた。
手をつけられない状態になる前に何とかしなければと思った教師は、全員に二枚の紙切れを配りクラス全員の名前を適当な間隔をあけて書くように言った。
そしてクラスメート一人ひとりの「一番いいところ」と思うことを書いてもらった。
その日の授業は、すべてその作業に費やした。授業時間が終わると、みんなは紙切れを提出し帰っていった。
次の日、教師は生徒がお互いに書き合った内容をリストにして、一人分ずつ一枚の紙にまとめた。
月曜日にはそれぞれの生徒に渡した。中には二ページになったものもあった。
やがて教室中が笑顔でいっぱいにになった。「ほんとかしら?」「あれが役に立ってたんだ!」「私ってけっこう人気者だったのね」というささやき声があちこちから上がった。
そのあと、この紙のことがクラスで話題になることはなかったし、放課後や家に帰ってから、その話が出たかどうか、教師は知らない。
しかし、そんなことはどうでもいい。
その目的は十分達成された。
生徒たちは自信を取り戻し、お互いを認め合うようになったのだ。
そして、やがてみんな卒業していき、数年が過ぎた。
ある年、休暇から帰ってきた私を、両親が空港までに迎えに来た。
帰りの電車の中で、天候の事や旅は楽しかったかといったありきたりの会話を交わした。
それが一段落すると、母が父に目くばせし、父が私のかつての教え子の一人、マークがベトナムで戦死したと私に告げた。
告別式は次の日だった。
牧師がお決まりの祈りを捧げ、葬送ラッパが吹かれた。
マークの最後の別れをするために、一人ずつ棺に歩み寄り、聖水を振りかけた。最後が教師だった。その場に立ちつくしていると、棺を担ぐ役の軍人が近づいてきて、言った。
「マークの数学の先生ですか。」教師はうなずき、ずっと棺を見つめていた。
「マークはしょっちゅう、あなたの話をしていました。」告別式が終わった後、マークのクラスメートたちは、その一人、チャックの農場で昼食をとることになっていた。
マークの両親もそこにいて、教師を待ちかねていたようだった。
マークのお父さんは「先生にお見せしたいものがあります。」と言うと、ポケットから札入れを取り出した。
「マークが死んだ時、これが見つかったそうです。先生はご存知でしょう。」お父さんは札入れから二枚のノートの切れ端を注意深く取り出した。
その紙は何度も折りたたまれ、テープのつぎはぎだらけだった。
それが、クラスメート全員が書いたマークのいいところのリストだったということは、わざわざ広げてみなくても、教師にはわかった。
今度はお母さんが、「ありがとうございました。マークはこれを宝物のように大事にしていました。」と、言った。
教え子たちが周りに集まってきた。
チャックは少し照れながら、「僕もまだ自分のリストをもってます。家にある机の一番上の引き出しに入れてあります。」と言った。
ジョンの妻は、「ジョンは、どうしてもこれをウエディングアルバムにいれてほしいと言っていました。」と言う。
「私も持っています。日記に挟んであります。」とマリリン。
ビッキーは財布を取り出し、ボロボロになったリストをみんなに見せながら、「肌身離さず持っているんです。みんな大事に取ってあるはずです。」と言った。
教師はその場に座り込み、声を上げて泣いた。
求心力―人を動かす10の鉄則より引用
長所を挙げるシチュエーションでなければ「ありがとう」という言葉を伝えるだけでも意味があります。
忙しくて余裕が無いときに「ありがとう。」を忘れていませんか。
過去を振り返ってあの時、お礼を伝えていなかったなと思うことありませんか。
職場だけでなく、家族、友達、恩師、ふとした街での出来事だって、自分に対して気配りをしてくれた方には「ありがとう」を伝えましょう。
今年は特にコロナで医療従事者の方々は頑張っていらっしゃいます。感謝の気持ちを持ちましょう。伝えましょう。
感謝の気持ちを伝えることで、自分の気持ちにも余裕が生まれる気がしています。
今週のお題「感謝したいこと」