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謙虚な理解魔

 

年末近いのでなんとなく部屋の整理をしていると昔の雑誌が目にとまりました。

 

それは日経ビジネスで「2014日本の主役100」というテーマでした。そして、その拍子は今年、半沢直樹で再度注目された堺雅人さん。

 

主役である100人一人ひとりそれぞれについて、付き合いのある方が紹介文を書くという構成になっていて、堺 雅人さんについて書いていたのは高校時代にカウンセラーとして話しを聞いて以来、20年のお付き合いがある宮崎県立看護大学教授の伊藤氏によるものでした。

 

伊藤氏は堺さんについて、このように語っていらっしゃいました。

堺 雅人は「理解魔」である。おそるべき、という形容詞をつけてもいいかもしれない。ただ、それは彼がすべてを理解できる能力を持っているということではない。逆に彼はいつでも「理解」が足りないと思っているだろう。だから「理解」するための実に壮絶ともいうべき努力をする。そして、たゆまぬ努力家が謙虚であるように、彼はいつも謙虚である。

高校時代、国語担当の先生が堺さんに満点を取らせないように苦心して問題を作っていたそうです。それだけ文章の理解力は抜群だったとのこと。この能力は俳優という仕事柄、台本に書かれていることをどれだけ深く理解できるか否かで役の演じ方も変わってくるのだから、あれだけの素晴らしい演技が出来る堺さんにはこの「理解力」という才能が大きな武器になっていたということ。

しかもそれは「謙虚さ」が生み出す「努力が出来る才能」なのだろうと思います。

 

私も仕事等を振り返って思うのだが、上辺だけの「暗記」だと自分の血肉にならず、しっかりと「理解をする」という行為は大変重要だと感じています。

「暗記」と「理解」は似て非なるもの。

暗記したことを実際に使い続けていれば、いずれ「理解」にかわり体に染み込んでいくのだろうが、その場限りの暗記はやはり、その場限りの知識になってしまいがちです。

しかしこの「理解をする」という行動は、大きなエネルギーを必要として、苦しいことが多いのだが、その困難を乗り越えた時の成長力は凄まじいものがありますよね。

 

そして昔堺さんがブレークした際に、その年を振返り表現した言葉が印象に残っています。

 本当に無味乾燥なやりがいのない1年でした。何も残らなかった

そして、こう続けられました。

もらったものを誰かに渡すための1年だったから、僕のところには何も残ってない。それが、お客さんに伝わったんだったら僕は非常に嬉しい

と。


解釈は人それぞれだろうが、どれだけブレークしていてもこのように自分をしっかり見つめることが出来る方なのだと感じました。

 

比較的長い充電期間があられ、どのように過ごされていたのかは存じ上げません。しかし今年また「半沢直樹」でまたスポットライトであたり、番宣等で素の堺さんを久々に画面を通じて拝見させていただきましたが、相も変わらず「謙虚」でおられました。

 

おそらくその「謙虚さ」と「努力」でもう一段も二段もレベルアップされたのでしょう。

 

「半沢直樹」以外の作品を見てみたいと強く願う。

 

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